暴力への衝動

「少年は休日に長い貨物列車が草原を走る時刻を楽しみにしていた。なぜなら、デッキに出ている乗客に手を振ると殆どの人が笑って手を振りかえしてくれるからだ。その日も、少年は貨物列車に向けて力いっぱい手を振った。手を振り終えて頬を蒸気させた少年の横を、貨物列車が通り過ぎるのを待っていた小売商が歩いて行った。少年はもしかしてその小売商も手を振りかえしてくれるのではないかと思い、手を振った。しかし、小売商はあまりに年を取り過ぎていて、手を振り返すことをしなかった。少年は突如降って湧いた衝動に駆られ、全速力で家に帰った。」

どこで聞いたか忘れましたが「衝動」に関する話です。その時の私は暴力への衝動を抑えるのに必死でした。ギャングの息子に水溜まりに頭を突っ込まれ靴で顔を踏まれた移民の少年フランク・シナトラはその時のことを述懐するに「オレはあの時、この野郎をどうやって殺してやろうかと考えていた。」と言いました。少年シナトラがその時その「衝動」を行使したかどうかは不明です。翻って、そのとき私はギャングの息子ではなくイトーヨーカドーのチェックマスター、つまり、或る特定の女性を「どうやって殺してやろうか」と考えていたのです。それは長男が産まれた後の司法試験を一次で惨敗した責任を取ってイトーヨーカドーの食品レジでパートになって3ヶ月、上の空でレジスターしていたため使えないというラベリングをされ始めた辺りの頃でした。二人いるチェックマスターの内の一人が、レジの配置移動の際に無言で私のエプロンの紐を引っ張るようになったのです。口頭で言えば済む話ですが、ドン臭い弱者に世の中は必要以上に厳しいことは私自身が自衛隊で熟知していました。ただ、レジに集中している時に引っ張るため靭帯の再建手術後の膝に不意の衝撃が走り、その度にどんよりとした嫌な気持ちになることを強いられたのです。「次に引っ張られたらカゴをブチまけてあの野郎に目に物見せてやる」…今では酔狂なお伽話ですが、あの時の私はその「衝動」を抑えるのに必死でした。

当時の司法試験の一次は択一式試験で憲法民法刑法各20点の3科目60点満点、その8割以上をマークしなければなりません。3度目の正直を賭けた勝負に惨敗したとき、憲法10点、民法13点、刑法19点、合格点は46点でした。問題の技巧化が極地に達した幾何学パズルのような刑法は当初1問解くのに1時間を要した鬼門であり、それをクリアー出来ていたのが唯一の救いでした。しかし、3年経っても答えを見ても分からない憲法は全く攻略の糸口が見えず、「憲法は国語力です。」と合格者が口々に言うフレーズが重く私にのし掛かって来ました。なぜなら、中学以降「国語はセンスだから勉強しても仕方がない。」という都市伝説を盲信して自ら豪語し、あらゆる国語系科目を英語と世界史の内職に費やしたツケが三十路を過ぎて廻って来たと思ったからです。つまり、マイケルチミノ監督、映画ディアハンターの冒頭で「鹿は1発で仕留めなければならない。」と言った後に戦場でベトナム人にロシアンルーレットをさせられることになったロバート・デニーロのような状況に追い遣られたと思い込んでいました。そんな折、来シーズンのパンフレットを取りに行った司法試験予備校の自動販売機の前で誰かが「昔の受験生は憲法は丸暗記してたそうだよ。」と言っているのが聞こえました。暴力への衝動と永年のツケが廻って来た恐怖に恐れ慄いていた私にとって、それはムハンマドの啓示でした。「そうだ、憲法を丸暗記しよう。あの野郎にカゴをぶち撒けるのはそれからでも遅くはない。」そう思ったのです。

それから私はジュンク堂のレジスターの前に置いてあった「日本国憲法」を百円で買い、いつも持ち歩くようにしました。そして、レジを打ちながら思い出せる限り、頭の中で憲法を暗唱したのです。夕方6時の5分前にレジに入り、6時になって各パート社員に与えられた固有番号をレジに打ち込んでからすぐに暗唱を始めました。食品レジは午後6時から午後8時が激混みします。「暇になってからではダメだ。その時からやらなければ、出来ない。」そう思っていたのです。そう思ったことに理由はありません。あるとすれば、それは私の中に新たに発生した「衝動」であったのかも知れません。

今でもよくそのヨーカドーに行きます。でも、食品を買う際はレジは新しく出来た無人レジを使っています。そんなことはないと思いますが、目の前にいるレジスター係が暴力への衝動を抑えながら憲法を暗唱していたとしたら恐怖以外の何物でもないからです。

皆さんの「衝動」にまつわる話を聞かせて下さい。JR埼京線とJR武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉県武蔵浦和で皆さんのお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 


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