東部方面隊創立57周年記念行事

今年も残すところ1ヶ月を切りました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

私は12月3日に朝霞駐屯地で催された「東部方面隊創立57周年記念行事」に参加させて頂きました。各駐屯地の司令官はもちろん、埼玉県の上田知事も来席し、東部方面隊各地の地酒が振舞われるなど想像以上に豪華な式典でした。

東部方面総監にご挨拶させていただいた際、先月のクレーマー講演に触れ慰労の言葉を戴いたことは光栄の至りでした。最先任上級曹長と写真を撮った際、カメラマンの広報担当がレンジャーの先輩で「おい五領田、何やってんだ!」とシバかれそうになったのには本能的にビックリしましたが、改変間際の31連隊長が紳士服のコナカの顧問になっていたのは普通にビックリしました。当時31連隊から師団レンジャーに派遣され、帰還したのはたった2人です。ただ、もう20年近く経っているため覚えてはいないだろうと思い恐る恐る話しかけたのですが、振り返りざまに「おい五領田、何やってんだ!」と有難いお言葉を頂きました。

ところで、連隊長によれば自衛隊に一度でも所属したことがある人はコナカは永遠に20%オフなんだそうです。自衛隊を退職し、司法試験を3回連続一次で不合格になった上、これくらいなら許されるだろうと妻のドラックストアのポイントでプロテインを買ってしまったら逆鱗に触れ、その責任を取るため近所のイトーヨーカドーでレジ打ちをすることになり仕方がなく国道沿いのコナカにワイシャツを買いに行った話を連隊長に聞いて貰いました。やりたくない仕事のために身銭を切ったあの夕暮れをふとした折に思い出します。まさかあの時に買ったワイシャツが実は20%だったなんて…。元自衛官の特権を享受することが出来なかった忘れ物を取りに向かった帰りの道で、巨大な上戸彩のポスターの上に掲げられていた看板を見て三たび驚きました。ずっと「コナカ」だと思っていたその紳士服売り場は「AOKI」でした。忘れ物はそこにはなかったことになります。私は何の特権を持たない、これからレジ打ちを始めるただの男としてあのワイシャツを買ったのです。「よかった、大丈夫だ。」と私は呟きました。

あっという間の年末ですね。とはいえ年の暮れ、お世話になった方に「元気にしてます。」と言えるのは、何とかその一年を生き凌いだ者の特権なのかもしれません。皆さんの「元気です。」を聞かせて下さい。今年も年末年始休まず営業します。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆さんのお越しをお待ちしております。

 

 

 

 


朝霞駐屯地での講演〜クレーマーの対応術について

本年11月10日に朝霞駐屯地で「クレーマーの対応術」というテーマで講演を賜りました。

クレーマーには2種類あります。①自己愛型クレーマーと②錬金術型クレーマーです。それぞれの特性と具体的な対応策を、普段悪質クレーマーと組んず解れつしている自らの悲喜交々の体験を交えてお話しさせて頂きました。

講演後、朝霞クラブで行われた懇親会にも参加しました。PXが「ファミマ」になっていたのは知っていましたが、クラブが「はなの舞」になっていたのは驚きました。ただ、中味は私が知っているクラブでした。月1のステージはまだ開催されているのでしょうか?来月の駐屯地記念行事にも呼ばれているので、その時に聞いてみたいと思います!


暴力への衝動

「少年は休日に長い貨物列車が草原を走る時刻を楽しみにしていた。なぜなら、デッキに出ている乗客に手を振ると殆どの人が笑って手を振りかえしてくれるからだ。その日も、少年は貨物列車に向けて力いっぱい手を振った。手を振り終えて頬を蒸気させた少年の横を、貨物列車が通り過ぎるのを待っていた小売商が歩いて行った。少年はもしかしてその小売商も手を振りかえしてくれるのではないかと思い、手を振った。しかし、小売商はあまりに年を取り過ぎていて、手を振り返すことをしなかった。少年は突如降って湧いた衝動に駆られ、全速力で家に帰った。」

どこで聞いたか忘れましたが「衝動」に関する話です。その時の私は暴力への衝動を抑えるのに必死でした。ギャングの息子に水溜まりに頭を突っ込まれ靴で顔を踏まれた移民の少年フランク・シナトラはその時のことを述懐するに「オレはあの時、この野郎をどうやって殺してやろうかと考えていた。」と言いました。少年シナトラがその時その「衝動」を行使したかどうかは不明です。翻って、そのとき私はギャングの息子ではなくイトーヨーカドーのチェックマスター、つまり、或る特定の女性を「どうやって殺してやろうか」と考えていたのです。それは長男が産まれた後の司法試験を一次で惨敗した責任を取ってイトーヨーカドーの食品レジでパートになって3ヶ月、上の空でレジスターしていたため使えないというラベリングをされ始めた辺りの頃でした。二人いるチェックマスターの内の一人が、レジの配置移動の際に無言で私のエプロンの紐を引っ張るようになったのです。口頭で言えば済む話ですが、ドン臭い弱者に世の中は必要以上に厳しいことは私自身が自衛隊で熟知していました。ただ、レジに集中している時に引っ張るため靭帯の再建手術後の膝に不意の衝撃が走り、その度にどんよりとした嫌な気持ちになることを強いられたのです。「次に引っ張られたらカゴをブチまけてあの野郎に目に物見せてやる」…今では酔狂なお伽話ですが、あの時の私はその「衝動」を抑えるのに必死でした。

当時の司法試験の一次は択一式試験で憲法民法刑法各20点の3科目60点満点、その8割以上をマークしなければなりません。3度目の正直を賭けた勝負に惨敗したとき、憲法10点、民法13点、刑法19点、合格点は46点でした。問題の技巧化が極地に達した幾何学パズルのような刑法は当初1問解くのに1時間を要した鬼門であり、それをクリアー出来ていたのが唯一の救いでした。しかし、3年経っても答えを見ても分からない憲法は全く攻略の糸口が見えず、「憲法は国語力です。」と合格者が口々に言うフレーズが重く私にのし掛かって来ました。なぜなら、中学以降「国語はセンスだから勉強しても仕方がない。」という都市伝説を盲信して自ら豪語し、あらゆる国語系科目を英語と世界史の内職に費やしたツケが三十路を過ぎて廻って来たと思ったからです。つまり、マイケルチミノ監督、映画ディアハンターの冒頭で「鹿は1発で仕留めなければならない。」と言った後に戦場でベトナム人にロシアンルーレットをさせられることになったロバート・デニーロのような状況に追い遣られたと思い込んでいました。そんな折、来シーズンのパンフレットを取りに行った司法試験予備校の自動販売機の前で誰かが「昔の受験生は憲法は丸暗記してたそうだよ。」と言っているのが聞こえました。暴力への衝動と永年のツケが廻って来た恐怖に恐れ慄いていた私にとって、それはムハンマドの啓示でした。「そうだ、憲法を丸暗記しよう。あの野郎にカゴをぶち撒けるのはそれからでも遅くはない。」そう思ったのです。

それから私はジュンク堂のレジスターの前に置いてあった「日本国憲法」を百円で買い、いつも持ち歩くようにしました。そして、レジを打ちながら思い出せる限り、頭の中で憲法を暗唱したのです。夕方6時の5分前にレジに入り、6時になって各パート社員に与えられた固有番号をレジに打ち込んでからすぐに暗唱を始めました。食品レジは午後6時から午後8時が激混みします。「暇になってからではダメだ。その時からやらなければ、出来ない。」そう思っていたのです。そう思ったことに理由はありません。あるとすれば、それは私の中に新たに発生した「衝動」であったのかも知れません。

今でもよくそのヨーカドーに行きます。でも、食品を買う際はレジは新しく出来た無人レジを使っています。そんなことはないと思いますが、目の前にいるレジスター係が暴力への衝動を抑えながら憲法を暗唱していたとしたら恐怖以外の何物でもないからです。

皆さんの「衝動」にまつわる話を聞かせて下さい。JR埼京線とJR武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉県武蔵浦和で皆さんのお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 


男の映画②〜「世界にひとつのプレイブック」2012年パラマウント社

映画は妻の浮気相手を半殺しにして精神病院に入院したパットのトレーニングシーンから始まります。あらすじを言うと、結婚式で流れていたスティービー・ワンダーの名曲が浮気現場でも掛かっていたというトラウマを持つ主人公が若くてキュートでサイコな未亡人と出会い再生を果たしていくというラブコメディです。主人公パットは「アメリカンスナイパー」のブラッドリー・クーパー、若い未亡人ティファニーを今や新世代の女王に昇り詰めた「ハンガーゲーム」のジェニファー・ローレンスが演じています。誰でも出来る父親役をデニーロが演じていたりして一見チープですが、密かにアカデミー賞4部門全てにノミネートされる快挙を成し遂げた隠れた名作にクレジットされる作品です。本来骨太な男の作品を紹介するはずの「男の映画」シリーズですが、第2回目にラブコメを持って来たことに特別な意味はありません。映画はパットとティファニーがダンス大会に出場し、これを観に来た妻との再会を果たしたパットが新しいパートナーとしてティファニーを選ぶというハッピーエンドで終わります。予定調和的なハッピーエンドに親和性を持てないのは不幸な青春時代を過ごした者の宿痾のようなものですが、そんなことはさて置いてご紹介したいシーンがあります。

刑務所の代わりに入った精神病院を退院したパットは服薬の代わりにトレーニングで自らの病を治そうとします。あくまでもラブコメディの範疇で語るとすれば、トレーニングで自己を高めて妻の愛を取り戻すという主人公の目論見はあまりにも儚いもので、接見禁止命令が出ているため幾度となく通報される憂き目に遭います。しかし、そんな逆境の中でもパットは抗精神剤の服薬を頑なに拒否し、トレーニングでの治療を選択し続けるのです。私が注目したのは、若くてキュートなジェニファーローレンスとの恋愛の成就ではなく、主人公の薬を飲まずに精神疾患を治すという当初の目論見が紆余曲折を経て成功したという側面でのハッパーエンドです。この薬を使わない精神疾患の治療はハリウッドの作品でも度々俎上に登るもので、とはいえ映画ではなくドラマなんですが、少年時代のバッドマンを描いた今年一番の話題作「ゴッサム」でもそれを暗喩した場面があります。若きゴードン警部が初めてウェイン家を訪れるシーンで、ゴードンが屋根の上に立っているウェインを見るにつけ「医者には見せてるのか?」と執事に尋ねます。すると執事である若きアルフレッドが「ウェイン家のしきたりで精神科に見せてはいけないことになっている。」と答えるのです。

精神科に勤める妻は私がこの類の話をすると何も分かっていない素人が偉そうに語るなと言うような顔をしながら「何も分かってないわね。」と言います。しかし、本来自分の心は自分が一番よく分かっているのであり、薬を飲むと自分のこと一番よく分かっている「自分」がどこにも居なくなってしまうような気がしまうことに素人も専門家もないでしょう。結局自分の話をしますが、師団レンジャーを終えた後に精神のバランスが取れなくなったことがありました。レンジャー訓練の目的の一つは「限界を体験させる」ことありますが、その手段は何かと言うと抽象的には「戦争の疑似体験」にあります。よって、レンジャーから帰還した隊員はまるでレイテ島から帰還した兵士のように暗闇や、音に怯え、常に「あれは何だったのか」という禅問答のような自問自答に苛まれる日々を強いられることになります。よくレンジャーに行くと駅のプラットフォームでベルが非常呼集のサイレンに聞こえてあたふたし始めてしまうという笑い話がありますが、私の場合は後ろに人が立たれると木の棒で叩かれるのではないかと思いあたふたしてしまうというものでありました。これがゴルゴ13のようなものであればカッコイイのですが、精強の証であるレンジャーバッチを付けながら「ボク後ろに人が立たれるのが嫌なんだ。」とは口が裂けても言えません。レンジャーが課程教育で隊員の殆どがバッチホルダーである空挺や西方であればまだ良かったのでしょうが、当時部隊で一人の陸士レンジャーだったため、求められるイメージと内心とのギャップに押し潰されそうになる日々を後ろに人が立たれる度にあたふたしながら送っていたのです。そして部隊の先任も通っていた駐屯地カウンセラーを紹介され、暫く通いましたが症状は改善せず、とうとう3病棟かという事態に。通っていれば何らかの病名が付き、薬を処方されていたことになると思います。しかし、当時の私はその選択を取りませんでした。課業外になると「駆け足に行く」と行っては琵琶湖と呼ばれる沼の近くにあったバーベル置き場に行き、星を見ながら一回も上がらなくなるまでベンチプレスをしたのです。その場所は夜は誰もいなかったため、自由に心の赴くままワンワン泣いたりギャアギャア喚いたりしながらベンチプレスをしました。今のように上部だの下部だの気にせず、ただただ夜空を見ながら毎日ベンチプレスをしたのです。

精神病院で処方されたそばで服薬を確認される作業を経たパットの舌には先ほど処方された精神薬があり、パットは自らの呪われた人生に舌を出すように薬を吐き出してトレーニングを開始します。その姿に私はレンジャー訓練後の自分の姿を重ね合わせたことが、この映画を「男の映画」として紹介させて頂いた大きな理由です。冒頭で述べたように第2回にラブコメを持って来たことに特別な意味は全くもってありません。念のため申し上げておくと、暗闇でのベンチプレスの最中に私の前にジェニファーローレンスのような美しい女性自衛官が現れたことはなかったのでパットに抱くような嫉妬を私に向けないで下さい。

皆さんも「男の映画」を紹介して下さい。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉の武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております!


男の離婚ページが始まりました!

 

家庭裁判所における男の惨状を目の当たりにし、もはや弱者とも言える現代の男たちをどうにか勇気づけて行くことは出来ないかという発想で立ち上げたサイトです。自衛隊の離婚案件を骨身を削ってクローズしてゆく中で獲得した離婚の妙技なるものも,もしかして御堪能して頂けるかもしれません。

一度は訪れて下さい。お待ちしております!

http://otokonorikon.com/

男の離婚


死を待つ病人

女性だけではなく、男も35歳も過ぎると途端に死を待つ病人のようになってしまうのが世の常であります。若い頃は若僧と呼ばれ、歳を取ったらオジさんと罵られてしまう。一体、私のちょうど良い年齢って何歳だったんだろうと思う時がありますが、一度たりとてその答えに巡り合ったことがありません。

最近、後期教育で初めて訪れた朝霞駐屯地に用がありいつの間にかファミマが入っていたPXの前を通りました。かつてその入り口付近には深田恭子のガーナミルクチョコレートの巨大なポスターがあり、そこには古代の御神託のように「子供って言われてムカッ、大人って言われてドキッ。私にはガーナがある。」と書かれていました。あの頃私は、24歳だったんですが、同期は殆ど18歳だったのでもちろん扱いとしてはオジさんでした。後期教育のクライマックスの障害走で死ぬ思いで完走し爽快な気分に浸りきっている私に、隣の班の班長が肩に手を掛けながら言ったことは、「苦しむ顔が老けていたぞ。」でした。一瞬耳を疑いましたが、確かにそう言ったんです。あの時私は若かったのでしょうか。それとも、隣の班の班長が言う通り、老けていたのでしょうか。その答えが見つかりません。

さらに遡って、こんなことがありました。神奈川県にある相模大野という駅に伊勢丹が出来た時の話です。なけなしの1万円を持って自転車で国道17号を駆け上り、逃げ帰るようにポールスミスのピンクのボタンダウンシャツを買って家に帰ったことがありました。これ見よがしに夕飯にそのシャツを着て席に着いた途端、ご飯をよそいながら母親がこう言ったのです。「そういうシャツを着るのは高校生までじゃない?弟にあげなさいね。」と。私は耳を疑いましたが、母親は確かにそう言ったんです。確かに、ピンクは冒険しすぎだとも思っていたのですぐに反論することは出来なかったのですが、肝心なことはその時私がまだ成人にも満たない19歳だったということです。思えば漸く猛威を振るったニキビが終焉してクレアラシルを付けずに外出できるようになり、「さぁこれからオレの青春は始まるんだ!」という意思の表明がそのピンクのボタンダウンシャツだったのかどうかはわかりませんが、兎に角、継母とかではない実の母親が私の意思表明を無残に踏みにじったことは間違いのないことでした。あの時の私は若かったのでしょうか、それとも老けていたのでしょうか?その答えが見つかりません。

そんな私も先月で41歳になりました。ちょっと前に35歳になったばかりのような気がするのに、もう40代になっています。クレアラシルをつけないで外出できるようになってからは20年以上、コンビニでグラビアを立ち読みしながら「マジかよ。〜差かぁ。」と呟くことがなくなってから10年以上経ちました。歳を気にしないで生きることは、歳を取ること即ち死に近づくことであることからして、決して逃れられないことかもしれません。「オレももう年だな。」「いや、まだまだ若いさ。」なんてことを繰り返しながらゆっくりと死に近付いているのでしょう。恐らくは、若僧でもオジさんでも今やることをやるしかないというのが模範解答なのでしょうが、ふと気付けばもっとしっくりくるような他の答えを探しているような気がします。皆さんはどのように歳を重ねているでしょうか?

埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で話を聞かせてください。皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 


法令順守とは何か~新年の挨拶に代えて

新年の挨拶が遅れて誠に申し訳ありませんでした。年末年始は体調を崩しながらも大晦日から三が日まで突貫で消尽し、4日から短い休みを取らせていただきました。

さて、新年の抱負を語る代わりに今年は法律家らしく「法令順守とは何か?」について話させていただこうと思います。

法には大きく分けて二種類あります。それは自然法と実定法です。

裁判所で裁判官と議論になることが少なくとも私には多々ありますが、そんな時に裁判官が必ずいうナンバーワンフレーズが「残念ながら法律(判例)はそうなっていない。」です。その言葉には文字通りの意味と、「もっとよく勉強してください&そんなこと言うなら国会議員にでもなって法律を変えればいいじゃないですか?」という大上段からの皮肉が含められています。

しかしながら、そう遠くない時代に「奴隷法」という法律があったのをご存知でしょうか。その時代の裁判官はある判決の中で堂々と「黒人は白人より劣った人種であるから…。」と理由づけています。だからという訳ではないですが、私は法律や判例がそうなっていると言われても直感的には、「だからなんなんですか?」と問いたくなってしまいます。ユダヤ人の大量虐殺もきちんと法律に則って行われていました。私が、「安心してください。時には法に反してでもやりますよ。」と言うと途端に青ざめる方がいらっしゃいますが、逆に私の方がその方の了見を疑いたくなってしまいます…というのは明らかに少し言いすぎでしょう。なお、先に出てきた奴隷法は「高次の法」である自然法により現代の世から消失したことは皆さんご存知の通りです。

ところで、私が法令順守っていったい何?ということを上記のような机上ではなくそれこそ実体験した話をしようと思います。それは自衛隊を退職して脚を引き摺りながら近所のイトーヨーカドーで懸命にマイバックのご協力に感謝の意を唱えていたときの話です。レジを打ち始めて二年目の夏にこういうことがあったんです。

その日は荒川の花火大会で屋上を一般開放する関係でレジ待ちのお客様が精肉鮮魚の方まで並ぶという飛んでもなく忙しい日でした。レジを打ち間違えると流れが止まり、周りのレジスターに途方もない負担を掛けてしまします。そのためいつも以上に戦々恐々としながらもうすぐ花火が始まるという午後7時を迎えようとしたその時、明らかにその界隈で一番悪そうな高校生がプレイメイトのような美女を連れて私のレジに訪れたのです。買い物かごを見ると悪そうな風体とは裏腹に甘ったるい缶酎ハイが無造作に並んでいました。ただ、それは紛れもない酒であり、未成年者に酒を売るのは法律で禁じられています。その高校生は殺気立ちながらこっちを静かに見つめプレイメイトのような美女は「何やってんの、早くしなさいよ。」とせっついて来ます。しかしながら、精肉や鮮魚まで続くお客様も同じように殺気立っており、私は大学生より高校生の方が多いと謳われた故郷である神奈川県厚木の一番街を思い出しながら、ダッカ日航機ハイジャック事件の福田首相のお株を奪う超法規的措置でその高校生に酒を売ったのです。その後、恐らく私の雑談が情報源の情報からジェダイマスターならぬチェックマスターと呼ばれるレジ打ちおばさんの親玉に大目玉を喰らったのは言うまでもありません。

時は流れて翌年の卒業シーズン、再び私の法令順守とは何か?に衝撃を与えるある出来事があったんです。ある女の子が私のレジに訪れ、アイスクリームチョコレートの銘品「ピノ」とチョーワの「酔わないウメッシュ」を持って来たのです。私は毎朝四時台に起きて間稽古を開始する極寒の板妻三曹教でアル中の先輩が「ゴリョちゃん、これ酒じゃないよね?」と聞いて来たので「そうですね。ノンアルコールって書いてありますしね。」といったら7本位一気したらしくベロベロになって点呼に廻ってきたことを思い出し、一瞬にして危機感を抱きました。同じ轍を踏まぬと私はすぐさまチェックマスターに連絡し、報告とともに指導を仰ぎましたが、チェックマスターは途端にアタフタし始め、用があるからと言ってどこかに行ってしまいました。しょうがないので私はレジを打ちました。そしたら女の子たちがヒソヒソと「ここなら大丈夫だよ。」的なことを言い始め、あっという間に私のレジにピノと酔わないウメッシュを持った少女たちの列が出来てしまったのです。恐らく少女たちの誰かがその組み合わせがハイになれることを発見し、「もうすぐ中学なんだから思い出作りに誰かの家でパァ~と盛り上がろうぜぃ、イェイ♡」とでも言ったのでしょう。それは少女たちにしか分らない、合法か非合法かで言えば合法というほかない悪事だったのです。私はそれだけにとんでもなく悪いことをしたような気持で嬉しそうにピノと酔わないウメッシュを2円掛からない透明のビニール袋に入れて帰る少女たちの後ろ姿を眺めながら「卒業おめでとう。」と呟きました。

今年もよろしくお願い致します!


戦力外通告を受けた男たち

年の瀬が押し迫るこの時期、毎年猛烈に楽しみにしているテレビ番組があります。

その番組は、紅白歌合戦でもなければ、ダウンタウンの笑ってはいけないでもありません。そもそもそれは大晦日の番組ではない。大晦日より少し前、12月の29日か30日に放映される、ある男達が輝かしい栄光を背負いながらも転落し最後の逆転に挑むという番組、勝てないとは知りつつ敢えて勝負に挑む男達を描いた濃密にドラマティークなドキュメンタリー番組、そろそろ名前をいいましょう。そう、「戦力外通告を受けた男たち」です。子供を背負い、近所のイトーヨーカ堂の食品レジに立ちながら司法試験のシーズンを送っていた頃から、僭越ながらも私は自分自身に重ね合わせてこの番組を観ていました。

プロ野球選手は言うまでもないことですが、もの凄い職業です。年に一度の報酬が昨年からどのくらいアップしたかが白日の下に晒され、スター選手となればそれにサインしたかしなかったかをしつこく聞かれるところまで放映されます。片や、イトーヨーカ堂の給料は毎月大体同じで上がりもしなければ下がりもしない、振り込みなのでサインするところもありません。職業に貴賤はないと言いますが双方には途方もない距離感があるところ、唯一年に一度だけグッと距離が縮まる、プロ野球選手が織姫ならば私が彦星になれる日。それが今年で言えば30日の「戦力外通告を受けた男たち」が放映されるその日なのです。

殆どのプロ野球選手はスターとして産まれてきた選ばれた人間です。甲子園で活躍してドラフトで指名され母校の英雄となる。概して背は高く、身長は175センチあっても体格に恵まれないと言われてしまう。語れば語るほど、「…ヒロシです。」になってしまう人種ですが、競う相手も同じように神様に選ばれた人間たち、そうでなくても栄光は決して永遠に続く訳ではありません。いつしか2軍生活が長くなり、怪我も重なりとうとうその日はやって来ます。一縷の望みを賭けてトライアウトに臨む。各チームのスカウト陣の熱い視線の中3打数2安打の好成績、あとは連絡を待つだけです。いつ電話が掛かってくるか分らないため外出もできず、何も知らない子供たちが無邪気に家の中で走り回っている。スポーツ新聞では次々と仲間が再就職を決めてゆくのを複雑な心境で知りながらも時間だけが過ぎて行く…。大体毎回同じような流れですが、その流れは西の初めてのお使い、東の戦力外とも言えるほど完成し尽くされています。男達は連絡が無ければもはや一生野球で勝負することが出来ない、その後はただの人として暮らしていかなければならないのです。

当時、負けが込み、というか一次試験も合格しておらず、妻からの戦力外通告に戦々恐々とする生活を送っていた私にとって大晦日前のその番組を観るのは確実に聖夜よりも大切な夜でした。家族が寝静まった夜に、いつもより上等な酒とあたりめを小脇に抱えながらテレビに噛り付いていたのです。

今年も男達のイブが近づいてきました。何とかまだマウンドに立たせてもらっていますが、今年はどんな思いで戦力外を観るのか自分でも楽しみにしています。えっ、年末はいつまで営業しているんですかって?年明け1月3日まで営業していますよ。皆様の話を聞きたいんです。たとえ夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

 


長州のパワーホール

誰しもがそれぞれ、心を掻き立てられるメロディーを持っていると思います。自衛隊員にとっては、おそらくそれは消灯ラッパの哀切なメロディーであり、若しくは、観閲式で掛かる抜刀隊の調べであるやもしれません。心を掻き立てられるというより、えぐられるといった方がふさわしい。それを聞くや否や、髪の毛をつかまれて過去に引きずり込まれる。時間軸を喪失し、突然あの頃に放り込まれて我を失う。そんなメロディーを誰しも一つは持っていると思います。

11月15日の話です。11.15両国国技館で天龍が引退するというので、私は随分前からチケットを買い、その日を待ち受けていました。それでも、午前中に溜まっていた訴状を書き、午後から司法試験の講義をし、慌てて会場入りすると、既に予定されていた試合の半分が終わっていました。いいんです。私は天龍の引退試合だけ見れれば、世紀の一瞬だけ見れればそれで一向に構わない。そう思っていました。その日のトレーニングをしていないのが少し気になりましたが、世紀の一瞬に向けて、私は国技館の近くのコンビニで買い込んだ缶ビールの一本目を開けました。案の定、天龍対オカダ以外はインディーと往年のレスラーの同窓会のようなカードで、光と影、そして時の移ろいばかりが際立ち、国技館のマス席が予想以上に狭かったのもあってか私は次第に苛立ちさえ覚えるようになったのです。

「おい、そこから長州がやってくるぞ。」そう言われたのは、二本目の缶ビールを飲み干したときです。突如、会場が暗くなり、けたたましい爆音でパワーホールが流れてきたのです。その瞬間、疲労と酔いもあってか、私は消灯ラッパと抜刀隊が一気に掛ってきたような感慨に襲われました。

 

そもそも私がプロレスを観出したのは今から25年前、15歳の時です。世代で言えばリアルタイムで観ていたとしてもおかしくはありませんが、噛ませ犬発言や、その日引退する天龍との60分フルタイムドローを人づてでしか知らず、私が高校に上がったときは既に長州は伝説となり掛けているレスラーの一人となっていました。時は闘魂三銃士の全盛、長州は思うようにならない身体を引きずりながら、全盛だった闘魂三銃士や馳や佐々木健介に胸を貸す立ち位置にいたと記憶しています。

当時、私は青春の袋小路に迷い込んでいました。雨後の筍のように出来たニキビに戸惑い、クレアラシルが上手く乗らないと学校を休むという生活を送っていたのです。それでも部活だけは毎日行っていましたが、中学3年間のブランクは大きく、匿名でラブレターを出すような、即ち何をやっても中途半端で上手くいかない時を過ごしました。土曜日の午後の練習が終わり、ため息を付きながら恨めったらしい顔でテレビを付けると、そこにはいつもパワーホールを鳴り響かせながら入場してくる黒光りした長州の姿がありました。

本当にここから長州が入場してくるのだろうか?と思いながらも私は持っていた二本目の缶ビールを握り潰し、靴も履かずにマス席の横の花道に行きました。そしたら向こうから本当に長州がやって来たんです。何かに怒っているような顔でもう片方の手首を交互に触るあの仕草をしながら本当に長州がやって来たのです。私は大人の特権として過去様々なレスラーを葬ってきたその右腕を触り、少年のように「やった!長州に触ったぞ。」と友人に向かって叫びました。

その後、もちろん25年前のような試合が観れた訳ではありません。捻りの効いたバックドロップから拷問のような蠍固め、ギブアップ寸前になったところを敢えてそれをさせずに「立て、コラァ」と叫びながら首が捥げると思わんばかりのリキラリアットでスリーカウントを奪うという長州の必殺フルコースは既にもう25年前に衰えを見せていたのです。というより、パワーホールが鳴り響き、長州の右腕を触った後からの記憶が全くないのです。セカンドロープに足を掛け、コーナーに佇む長州の厚い背中を見ていた私は、自衛隊を経て弁護士になった今の私ではなく、ただ雨後の筍のように出来たニキビに戸惑い、人生を恨みながらプロレスを観ていたあの頃の私であったのかもしれません。

私だけ喋っています。皆さんの話も聞かせてください。夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。


男の映画①~「チャイナタウン」1974年パラマウント映画社

最近観た映画の話です。映画「チャイナタウン」は、私が生まれた1975年に日本公開されたジャックニコルソン主演のハリウッド映画です。ストーリーは1930年代後半のロサンゼルスを舞台に私立探偵が偶然にも関わってしまった殺人事件を通じ、誰にも変えられない運命の綾に踊らされる女性の姿を描いた作品であります。私立探偵といえば優しくなければ…生きていけないで有名なフィリップマーロウが活躍するレイモンドチャンドラーの作品群を思い出しますが、この作品はハードボイルドなタッチに加え憂鬱で退廃的な雰囲気と水道利権の争いという社会的な視点も織り交ぜ、残酷な現実と不条理を見事に表現し切ったマスターピースとなっております。

題名のチャイナタウンから、ミッキーロークの「チャイニーズオブドラゴン」が如くチャイナマフィアの血で血を洗う抗争が描写されている映画と思ったら大間違いで、中国人街が出てくるのはラストの7分だけです。それまではJ・ニコルソンの気の遠くなるような捜査の様子が延々と続きます。チャイナタウンとは、主演の私立探偵が警官だった時に仲間たちが口々に言っていた言葉、「何もしない方がいい。」に由来し、ラストのJ・ニコルソンの台詞「ここは怠け者の街だ。」に代弁されるものです。つまり、チャイナタウンのように言語や人間関係が複雑な街では犯罪を防止しようとすることが逆に犯罪を助長し保護することになってしまうことが多く、更にそれが命取りになるため、かえって「何もしない方がいい。」ということになってしまうのです。

私が初めてこの映画を観たのは、中学校の頃です。丁度レンタルビデオ屋が雨後の筍のように街に出来始めた頃に、観ようと思っていた新作映画が全部貸し出し中だったためにしょうがなく名作のコーナーから借りて観た覚えがあります。男には疲れ果てた時もう一度観たくなる映画というものがあり、その映画が私にとって、少なくとも今は「チャイナタウン」だったのかもしれません。

翻って、皆さんは弁護士に対してどのようなイメージがあるでしょうか?私は、弁護士になるまで弁護士が自由と独立の象徴のような存在だという印象が強くありました。しかし、今となってはそうでもないみたいだと思っています。弁護士は建前上自由ですが、強制加入団体である弁護士会による懲戒制度というものがあり、この懲戒のハードルがどんどん下がってきているため皆それに戦々恐々としているというのが実状です。懲戒には資格剥奪、除名、業務停止や戒告というのがありますが、最後の戒告というものが曲者でちょっとしたことでも品格を欠いたと言われ簡単に戒告されてします。戒告でも弁護士全員に配られる「自由と正義」という雑誌に名前が載ってしまうため、名前が載った弁護士はホーソンの緋文字のようにある種の烙印を押される⇒弁護士が三度の飯より好きな弁護士同士の噂の種にされてしまう⇒弁護士の世界での社会的信用を喪う⇒仕事が来なくなるというホントか嘘か分らないが噂レベルでは歴然としてとしてそこにあるベルトコンベアーに乗ってしまうのです。「あっ、それ懲戒喰らうよ。」が弁護士の間の隠語としての強大なプロトコルとなっています。

そのため、依頼者のために一肌脱ごうとしているとき、無意識に焼き付いた「あ、それ懲戒喰らうよ。」というプロトコルの響きは巨大な足枷となって彼らの動きをはたと止めます。依頼者としてなんでこんな簡単なことをやっくてれないのだろう…と思う時があると思いますが、その理由は懲戒という仲間内の吊し上げを喰らいたくないという大人ならぬ弁護士の事情が介在しているのです。依頼者のために一肌脱いだ弁護士はその依頼者からは感謝されるかもしれませんが、不条理にもほぼ確実に懲戒を喰らいます。結局「何もしない方がいい。」とでも言わんばかりに。そのような実情を見るにつけ、私はチャイナタウンのラストでJ・ニコルソンが呟いた「ここは怠け者の街だ。」という台詞を不意に思い出してしまうのです。

お前は懲戒にビビってないのか?とよく周りの弁護士に聞かれます。私は必ずこう言います。「弁護士は闘争業さ。それに、一番いけないのは恐怖自体を怖れることだよ。」と。それは私がマッチョであるからではありません。怖いということが許されない職業に就いていた男の痩せ我慢なのです。やれることは限られていますが、ただ全力でやるだけです。そう思っています。

夕暮れからトレーニングに行きます。今日はフルレンジのスクワットを一回も挙がらなくなるまでやるつもりでいます。皆さんの話も聞かせてください。夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。