死を待つ病人

女性だけではなく、男も35歳も過ぎると途端に死を待つ病人のようになってしまうのが世の常であります。若い頃は若僧と呼ばれ、歳を取ったらオジさんと罵られてしまう。一体、私のちょうど良い年齢って何歳だったんだろうと思う時がありますが、一度たりとてその答えに巡り合ったことがありません。

最近、後期教育で初めて訪れた朝霞駐屯地に用がありいつの間にかファミマが入っていたPXの前を通りました。かつてその入り口付近には深田恭子のガーナミルクチョコレートの巨大なポスターがあり、そこには古代の御神託のように「子供って言われてムカッ、大人って言われてドキッ。私にはガーナがある。」と書かれていました。あの頃私は、24歳だったんですが、同期は殆ど18歳だったのでもちろん扱いとしてはオジさんでした。後期教育のクライマックスの障害走で死ぬ思いで完走し爽快な気分に浸りきっている私に、隣の班の班長が肩に手を掛けながら言ったことは、「苦しむ顔が老けていたぞ。」でした。一瞬耳を疑いましたが、確かにそう言ったんです。あの時私は若かったのでしょうか。それとも、隣の班の班長が言う通り、老けていたのでしょうか。その答えが見つかりません。

さらに遡って、こんなことがありました。神奈川県にある相模大野という駅に伊勢丹が出来た時の話です。なけなしの1万円を持って自転車で国道17号を駆け上り、逃げ帰るようにポールスミスのピンクのボタンダウンシャツを買って家に帰ったことがありました。これ見よがしに夕飯にそのシャツを着て席に着いた途端、ご飯をよそいながら母親がこう言ったのです。「そういうシャツを着るのは高校生までじゃない?弟にあげなさいね。」と。私は耳を疑いましたが、母親は確かにそう言ったんです。確かに、ピンクは冒険しすぎだとも思っていたのですぐに反論することは出来なかったのですが、肝心なことはその時私がまだ成人にも満たない19歳だったということです。思えば漸く猛威を振るったニキビが終焉してクレアラシルを付けずに外出できるようになり、「さぁこれからオレの青春は始まるんだ!」という意思の表明がそのピンクのボタンダウンシャツだったのかどうかはわかりませんが、兎に角、継母とかではない実の母親が私の意思表明を無残に踏みにじったことは間違いのないことでした。あの時の私は若かったのでしょうか、それとも老けていたのでしょうか?その答えが見つかりません。

そんな私も先月で41歳になりました。ちょっと前に35歳になったばかりのような気がするのに、もう40代になっています。クレアラシルをつけないで外出できるようになってからは20年以上、コンビニでグラビアを立ち読みしながら「マジかよ。〜差かぁ。」と呟くことがなくなってから10年以上経ちました。歳を気にしないで生きることは、歳を取ること即ち死に近づくことであることからして、決して逃れられないことかもしれません。「オレももう年だな。」「いや、まだまだ若いさ。」なんてことを繰り返しながらゆっくりと死に近付いているのでしょう。恐らくは、若僧でもオジさんでも今やることをやるしかないというのが模範解答なのでしょうが、ふと気付けばもっとしっくりくるような他の答えを探しているような気がします。皆さんはどのように歳を重ねているでしょうか?

埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で話を聞かせてください。皆様のお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 


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