長州のパワーホール

誰しもがそれぞれ、心を掻き立てられるメロディーを持っていると思います。自衛隊員にとっては、おそらくそれは消灯ラッパの哀切なメロディーであり、若しくは、観閲式で掛かる抜刀隊の調べであるやもしれません。心を掻き立てられるというより、えぐられるといった方がふさわしい。それを聞くや否や、髪の毛をつかまれて過去に引きずり込まれる。時間軸を喪失し、突然あの頃に放り込まれて我を失う。そんなメロディーを誰しも一つは持っていると思います。

11月15日の話です。11.15両国国技館で天龍が引退するというので、私は随分前からチケットを買い、その日を待ち受けていました。それでも、午前中に溜まっていた訴状を書き、午後から司法試験の講義をし、慌てて会場入りすると、既に予定されていた試合の半分が終わっていました。いいんです。私は天龍の引退試合だけ見れれば、世紀の一瞬だけ見れればそれで一向に構わない。そう思っていました。その日のトレーニングをしていないのが少し気になりましたが、世紀の一瞬に向けて、私は国技館の近くのコンビニで買い込んだ缶ビールの一本目を開けました。案の定、天龍対オカダ以外はインディーと往年のレスラーの同窓会のようなカードで、光と影、そして時の移ろいばかりが際立ち、国技館のマス席が予想以上に狭かったのもあってか私は次第に苛立ちさえ覚えるようになったのです。

「おい、そこから長州がやってくるぞ。」そう言われたのは、二本目の缶ビールを飲み干したときです。突如、会場が暗くなり、けたたましい爆音でパワーホールが流れてきたのです。その瞬間、疲労と酔いもあってか、私は消灯ラッパと抜刀隊が一気に掛ってきたような感慨に襲われました。

 

そもそも私がプロレスを観出したのは今から25年前、15歳の時です。世代で言えばリアルタイムで観ていたとしてもおかしくはありませんが、噛ませ犬発言や、その日引退する天龍との60分フルタイムドローを人づてでしか知らず、私が高校に上がったときは既に長州は伝説となり掛けているレスラーの一人となっていました。時は闘魂三銃士の全盛、長州は思うようにならない身体を引きずりながら、全盛だった闘魂三銃士や馳や佐々木健介に胸を貸す立ち位置にいたと記憶しています。

当時、私は青春の袋小路に迷い込んでいました。雨後の筍のように出来たニキビに戸惑い、クレアラシルが上手く乗らないと学校を休むという生活を送っていたのです。それでも部活だけは毎日行っていましたが、中学3年間のブランクは大きく、匿名でラブレターを出すような、即ち何をやっても中途半端で上手くいかない時を過ごしました。土曜日の午後の練習が終わり、ため息を付きながら恨めったらしい顔でテレビを付けると、そこにはいつもパワーホールを鳴り響かせながら入場してくる黒光りした長州の姿がありました。

本当にここから長州が入場してくるのだろうか?と思いながらも私は持っていた二本目の缶ビールを握り潰し、靴も履かずにマス席の横の花道に行きました。そしたら向こうから本当に長州がやって来たんです。何かに怒っているような顔でもう片方の手首を交互に触るあの仕草をしながら本当に長州がやって来たのです。私は大人の特権として過去様々なレスラーを葬ってきたその右腕を触り、少年のように「やった!長州に触ったぞ。」と友人に向かって叫びました。

その後、もちろん25年前のような試合が観れた訳ではありません。捻りの効いたバックドロップから拷問のような蠍固め、ギブアップ寸前になったところを敢えてそれをさせずに「立て、コラァ」と叫びながら首が捥げると思わんばかりのリキラリアットでスリーカウントを奪うという長州の必殺フルコースは既にもう25年前に衰えを見せていたのです。というより、パワーホールが鳴り響き、長州の右腕を触った後からの記憶が全くないのです。セカンドロープに足を掛け、コーナーに佇む長州の厚い背中を見ていた私は、自衛隊を経て弁護士になった今の私ではなく、ただ雨後の筍のように出来たニキビに戸惑い、人生を恨みながらプロレスを観ていたあの頃の私であったのかもしれません。

私だけ喋っています。皆さんの話も聞かせてください。夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。


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