男の映画①~「チャイナタウン」1974年パラマウント映画社

最近観た映画の話です。映画「チャイナタウン」は、私が生まれた1975年に日本公開されたジャックニコルソン主演のハリウッド映画です。ストーリーは1930年代後半のロサンゼルスを舞台に私立探偵が偶然にも関わってしまった殺人事件を通じ、誰にも変えられない運命の綾に踊らされる女性の姿を描いた作品であります。私立探偵といえば優しくなければ…生きていけないで有名なフィリップマーロウが活躍するレイモンドチャンドラーの作品群を思い出しますが、この作品はハードボイルドなタッチに加え憂鬱で退廃的な雰囲気と水道利権の争いという社会的な視点も織り交ぜ、残酷な現実と不条理を見事に表現し切ったマスターピースとなっております。

題名のチャイナタウンから、ミッキーロークの「チャイニーズオブドラゴン」が如くチャイナマフィアの血で血を洗う抗争が描写されている映画と思ったら大間違いで、中国人街が出てくるのはラストの7分だけです。それまではJ・ニコルソンの気の遠くなるような捜査の様子が延々と続きます。チャイナタウンとは、主演の私立探偵が警官だった時に仲間たちが口々に言っていた言葉、「何もしない方がいい。」に由来し、ラストのJ・ニコルソンの台詞「ここは怠け者の街だ。」に代弁されるものです。つまり、チャイナタウンのように言語や人間関係が複雑な街では犯罪を防止しようとすることが逆に犯罪を助長し保護することになってしまうことが多く、更にそれが命取りになるため、かえって「何もしない方がいい。」ということになってしまうのです。

私が初めてこの映画を観たのは、中学校の頃です。丁度レンタルビデオ屋が雨後の筍のように街に出来始めた頃に、観ようと思っていた新作映画が全部貸し出し中だったためにしょうがなく名作のコーナーから借りて観た覚えがあります。男には疲れ果てた時もう一度観たくなる映画というものがあり、その映画が私にとって、少なくとも今は「チャイナタウン」だったのかもしれません。

翻って、皆さんは弁護士に対してどのようなイメージがあるでしょうか?私は、弁護士になるまで弁護士が自由と独立の象徴のような存在だという印象が強くありました。しかし、今となってはそうでもないみたいだと思っています。弁護士は建前上自由ですが、強制加入団体である弁護士会による懲戒制度というものがあり、この懲戒のハードルがどんどん下がってきているため皆それに戦々恐々としているというのが実状です。懲戒には資格剥奪、除名、業務停止や戒告というのがありますが、最後の戒告というものが曲者でちょっとしたことでも品格を欠いたと言われ簡単に戒告されてします。戒告でも弁護士全員に配られる「自由と正義」という雑誌に名前が載ってしまうため、名前が載った弁護士はホーソンの緋文字のようにある種の烙印を押される⇒弁護士が三度の飯より好きな弁護士同士の噂の種にされてしまう⇒弁護士の世界での社会的信用を喪う⇒仕事が来なくなるというホントか嘘か分らないが噂レベルでは歴然としてとしてそこにあるベルトコンベアーに乗ってしまうのです。「あっ、それ懲戒喰らうよ。」が弁護士の間の隠語としての強大なプロトコルとなっています。

そのため、依頼者のために一肌脱ごうとしているとき、無意識に焼き付いた「あ、それ懲戒喰らうよ。」というプロトコルの響きは巨大な足枷となって彼らの動きをはたと止めます。依頼者としてなんでこんな簡単なことをやっくてれないのだろう…と思う時があると思いますが、その理由は懲戒という仲間内の吊し上げを喰らいたくないという大人ならぬ弁護士の事情が介在しているのです。依頼者のために一肌脱いだ弁護士はその依頼者からは感謝されるかもしれませんが、不条理にもほぼ確実に懲戒を喰らいます。結局「何もしない方がいい。」とでも言わんばかりに。そのような実情を見るにつけ、私はチャイナタウンのラストでJ・ニコルソンが呟いた「ここは怠け者の街だ。」という台詞を不意に思い出してしまうのです。

お前は懲戒にビビってないのか?とよく周りの弁護士に聞かれます。私は必ずこう言います。「弁護士は闘争業さ。それに、一番いけないのは恐怖自体を怖れることだよ。」と。それは私がマッチョであるからではありません。怖いということが許されない職業に就いていた男の痩せ我慢なのです。やれることは限られていますが、ただ全力でやるだけです。そう思っています。

夕暮れからトレーニングに行きます。今日はフルレンジのスクワットを一回も挙がらなくなるまでやるつもりでいます。皆さんの話も聞かせてください。夜中でも構いません。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。


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