昔は弱く、今は強くなったという話をしようとしているのでありません。そのとき私は大学の6回生、大田区馬込で2年目の新聞奨学生をしていました。
陸上自衛隊への入隊を決めたのはいいものの、実際自衛隊でどんな訓練をするのかは全く分かっていません。配達は全て駆け足で行い、夕刊はカブではなく自転車での配達、大学の講義は必ず出て昼寝は絶対にしないなど、自分なりに心身を鍛えその準備をしていたものの、高校を卒業したばかりの若鮎のような者たちとしのぎを削って一緒に訓練をするまでの自信は到底ありませんでした。
桜が散り、夏が近づくとその不安は現実のものとなって行き、その現実のものとなった不安が、24歳になろうとしている社会に出る若者としては老境に差し掛かった私を徐々に支配して行きました。私はまるでゴッサムシティに降臨する前の蝙蝠に怯える幼少期のバットマンのように、内なる恐怖と闘う日々を送っていたのでした。何とかしなければと思い身体を鍛えるためのトレーニング場を探すと、寮のある馬込からは大田区立体育館が一番近いことが判明しました。もう夏が終わりかけ、夜に台風が来る予定だったが夕方にそれが過ぎ去り、この世の終わりのように紅い夕焼けを見た日の夜、私は新聞屋のカブで大田区立体育館に向かいました。
その頃の大田区立体育館は昭和50年にアントニオ猪木が新日本プロレスを旗揚げしたそのままのもので、トレーニング場も中二階にバーベルとダンベルが雑然と並べられてあるだけで最新式のマシーンなどある訳もない、薄暗くて古臭い埃の匂いがする掘っ立て小屋のような体育館でした。挨拶代わり、冗談交じりで「ふくらはぎを鍛えるマシーンはありますか?」と新聞屋のジャンバーを着たまま管理人らしき人に尋ねると、その管理人は「ん?」と言ったまま何も答えずただただ私の方を見ています。辺りを見渡すと、健康のために軽く汗を流すような人が一人もいません。唸り声を出してバーベルを挙げ下げする大男や、一見普通のサラリーマンだが「…ダメだ。もうダメだぁ!」と叫びながらも一向にスクワット辞めようとしない人、お互いの腕を紐でくくってアームレスリングの練習をしているYAZAWA系現役不良中年二人組、その管理人自身も筋肉が発達し過ぎて手足の区別がつかない豆タンクの様な体型をしており、ここが公共施設とはとてもじゃないが信じることが出来ない異様な空間がそこにはありました。後でわかったことですが、その管理人は国士舘大学の柔道部出身、重量挙げの世界選手権を3連覇している方で、何かを尋ねると必ず大きな目をひん剝いて「ん?」と言う癖が強い人だったのです。器具の扱いマナーには五月蠅く、真夏の海でいい思いしてやろうぜ!的な輩には特に五月蠅く、結局真摯なトレーニーしか残らないというもはや区民体育館でなく道場に近い空間になっていたのでした。明朝の配達があるため軽く鍛えて上がろうと考えていた私に管理人は「枝を鍛えても枝だけ太くなることはない、幹を鍛えなさい。」と諭し、私は新聞を配るときの格好のままベンチプレス台に乗せられることとなりました。今考えると豪華なことですが、その管理人は兎に角、補助につくのが好きでした。ベンチプレスの補助につかれると超至近距離で管理人の股間を見ることになります。今では何も思いませんが、その時は恥ずかしくて男性経験がない少女のように目をギュッと強く瞑っていたことをよく覚えています。
配達に支障が出てはいけないと当初は週に2回くらいと考えていましたが、管理人は二日来ないと「しばらく来なかったが、体調でも悪かったのかい?」と言ってきます。途中からスクワットもさせられることになるんですが、週に5回はベンチプレスをしていたように思います。自衛隊の訓練と言えども3桁、つまり100キロ持ち上げればそれに太刀打ちできるだろうという根拠のない淡水魚の様な希望が、入隊への漠然とした恐怖を打ち消しました。訓練の目的の一つとして、恐怖という動物的な反射を矯正して感じないようにすることというのがあります。ベンチプレスをやり込むことで私は入隊前、既に訓練というものを始めていたのかもしれません。
夏から始めたベンチプレス、目標としていた100キロは年明けに達成することが出来ました。近所の肉屋で鳥のささみを大量に買い込み、それを茹でて寝る前にプロテインドリンクで流し込むという食事を続け、体重もあっという間に10キロ以上増えました。そして、その年の3月末にベンチプレス115キロ、体重70キロと言う肉体で横須賀の武山駐屯地の衛門を潜ったのです。
ベンチプレスを100キロ持ち上げることで入隊への恐怖がなくなったかという質問の答えはイエスでもあり、ノーでもあります。現に入隊日、バスが駐屯地に近づくと「そんなに要る?」と誰もが思う夥しい数の鉄棒がまるでオブジェのように誰もいない衛庭に並べられているのが見えて、まだ習っていない回れ右をしそうになったことは紛れもない事実でした。
繰り返しますが、昔は弱くて今は強くなったという話をしているのではありません。あの時私は、自衛隊と言う未知で巨大な存在に恐れと戦きを感じ、それを乗り越えようと日々もがいていたのです。その結果に得たものが、わずか八か月でマックスを二倍にした重量のベンチプレスを持ちあげたことであり、入隊直後大浴場で若鮎のような隊員たちを騒然とさせた胸筋だったのです。入隊後の前期訓練で私は若鮎のような奴らと真っ向勝負をして体力1級徽章を授与され、その後の精強の途を辿ることになります。食の細い哲学青年だった1年前では、全く考えられないことでした。
当たり前の話ですが、今でもまだ何かに恐れや戦きを抱くことはあります。しかし、あの頃のように急き立てられるように鉄の重りを挙げ下げし、これを辞めたら自分がバラバラになってしまうのではないかと言う存在自体の恐怖や戦慄を感じることはありません。ホッとする反面でどこかやけに年老いた気持ちになるということが正直なところです。
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