私の原風景

自衛隊を退職して近所のイトーヨーカ堂でレジを打ち始めた頃の話です。当時の私は択一式試験と言う司法試験の第一関門を三回連続で落ちており、退職金も底をつきかけ、しかも子持ちで人生の黄色信号が灯り始めた青年と言うには無理がある34歳の男でした。

ところで、閉店前のレジ締め業務は防犯上二人一組で決められたルートを辿って出納係の待つ部屋まで行きます。従業員用のドアを潜り薄暗い通路を歩いていると、一緒に歩いていた大学生の女の子から「すみません、答えたくなかったら答えなくてもいいです。一つだけ聞いていいですか?」と言われました。何でも聞いて下さいと言うとその女子大生がこう言ったのです。「いま何歳なんですか?」と。実年齢でいいんですよね?と一応確認を入れた上で本当の年齢を告げたのですが、その後彼女が私に何かを尋ねることはありませんでした。

その女子大生とは別の従業員で、A子さんと言う人がいました。彼女は私の教育係だったのですが、代謝不能で嫌だったのが、彼女がお客様の前でいちいち私を指導することでした。

自衛隊では何か指導する必要があったとき上官はその隊員の後輩がいる前で指導をすることはありません。おそらくトップダウンの指揮系統を維持するためでしょうが、湯気が出るほど怒っている上官でも一応その隊員の下の隊員が傍にいた場合には何処かよそへ連れ出すか、その下の隊員をよそへ行かせてから指導を入れます。これはかなり徹底された不文律であり、私もほんの一度だけ後輩の前で指導を入れられたことがありましたが、その後すぐ「下の前で指導してすまなかったな。」と何度も謝られた記憶があります。そのせいか、私はその教育係がお客様の前で私を指導することに普通の従業員が感じるよりも遥かに強烈な違和感を抱いていたのです。とはいえ、間違いなくイトーヨーカ堂は自衛隊ではなく、その自衛隊を辞めた上で自らの意思でイトーヨーカ堂に入ってレジ操作を性懲りもない程ミスしていたのは自分なので私が彼女に何かを抗議することはありませんでした。

四時間以上もレジに立ち続けるのは歩くと膝がコキコキ鳴っていた当時の私にはかなりこたえるものでした。何より尊大な自尊心をトマトのような額に掲げた女子大生が返す言葉もなくなる34歳と言う年齢で、男として何の尊厳も感じることなく自動販売機みたいにレジに立っていなければならない自分の現状に激しく苛立ち、まっすぐに家に帰ることは出来ませんでした。暗記をしながら近所の公園で一回も挙がらなくなるまで懸垂をしてからやっと家に帰るという作業を強いられたのです。

今はない近所の曽根というリカーショップが1時に閉まってしまうため、その時間までには暗記と懸垂を切り上げる必要がありました。いつものように、その頃からあったがすぐに消えてなくなると思っていたサントリーの金麦500mlを1本買って家に帰る途中、ふと「おぎゃあ、おぎゃあ。」と赤ん坊の泣く声が聞こえました。「あぁ赤ちゃんが泣いてるな。」と思った途端涙が出そうになりましたが、34歳はもう涙を流してはならない年齢です。涙は若い人間の特権かもしれません。感情を堪えながらさらに家に向かって歩いていると、その赤ちゃんの泣き声は次第に大きくなっていきました。アパートの入り口を潜っても赤ちゃんの泣き声は聞こえます。赤ちゃんのいる家族はアパートで私の世帯だけでしたので、慌てて階段を駆け上がり家の玄関を開けると爆睡した奥さんの横で私の長男が猛烈に泣いていました(笑)。

よく思い出す私の原風景です。皆さんの原風景を教えて下さい。夜中でも構いません。

それでは、埼京線と武蔵野線のクロスポイント武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております。

 

 


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