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「レンジャーと私」というテーマでの講演〜その1

先日、埼玉県某所で冒頭に掲げたテーマで講演をさせて頂きました。テーマとしてはとても分かり易すそうにも思えますが、正面から聞かれると意外と困ってしまうのが正直なところです。とはいえ、代表を務める法律事務所の名前に思いっきり「レンジャー」の冠を掲げています。何も話さないということは出来ません。試行錯誤の結果、最低限爪痕を残すことを獲得目標に「レンジャー」そのものではなく「レンジャー素養試験」について話すことに決めました。

実際のところ今年の夏は気象観測的には本当に暑かったと思います。しかし、レンジャーの素養試験を受けたあの日の暑さと比べると海の向こうで行われている戦争を新聞で流し読みするような感覚に囚われてしまう。確かに気温は暑かったですが、夜はクーラーを付けて眠り、移動は車、建物に入ると真冬の北海道さながらに涼しい生活環境です。ウィルスミスが出て来るSF映画かのように外を出歩いている人は疎らで、テレビを付けるとひたすら熱中症の危険が叫ばれている。実際に暑いだけに、暑い暑いと言えばいうほど、体感する暑さとは縁遠くなる。誤解を恐れずに言えば、あの日は真逆だったのです。「休め」ではなく「整列休め」の姿勢で等間隔に立たされた駐屯地の園庭には沸騰間近の薬罐を間近で見るような陽炎が揺らめき、およそ私が記憶する中で最高の暑さだったように思えるものの、不思議と誰一人「暑い」と言わない。今振り返ってみれば、熱中症で倒れた隊員、小まめな水分をせずに足が攣りそれ以上の試験を受けられなかった人もいましたが、その類のリスクを叫ぶ指導者はまだ登場しておらず、水分補給の必要性を予めアナウンスされることすらない。ただただ、倒れたら失格の烙印を自らの額に念押しして、部隊に帰ることを余儀なくされる。そんな一日だったように思います。

私は、その一日に全てを賭けていました。試験場に赴く前の日の訓練をよく覚えています。外出証を貰ってましたがよもや外出することをせず、午前中は目一杯駆け足をして、午後は64式小銃に見立てた4.3キロの鉄棒を持ってハイポート、夕方になると懸垂と腕立てを交互にもう一回も挙がらなくなるまで行い、日暮れ間際に入水禁止なのか未だに不明な朝霞駐屯地の琵琶湖で水泳の訓練、虫の息で陸に上がると何処からともなく鴉が3匹飛んで来ました。3匹の鴉が私の廻りをピョンピョンと飛び始めたので、もしかして食べられてしまうのではと思い「ギャア」と叫びながらごくごく主観的に命辛々で隊舎に帰ったのです。

翌日、試験会場である練馬駐屯地に到着すると実際にレンジャー訓練に使用された一階建ての隊舎に宿泊しました。部隊ではなく師団のレンジャーだったこともあり、様々な駐屯地から志願者がやって来ていました。当然、訓練の疲労と緊張もあったでしょうが、扇風機もない昭和初期からあるようなトタン屋根の隊舎の夜は茹だるように暑く、その暑さは夜中に正面玄関に置かれた冷蔵庫で冷やされている個々人の飲み物を勝手に飲んでも一握の罪悪感も生じない程でした。ニュースで涼しげなアナウンサーが今夜は熱帯夜になるとのアナウンスを真に受け、エアコンの設定温度を下げすぎてあまりの極寒に目を覚まし、リモコンまで辿り着かなかったら凍死するんじゃないかと思った今年の夏とはおよそ真逆の夏だったように思えるのです。


坂本陸将補への表敬訪問

初春の過日、アテネ神殿を彷彿させて止まない市ヶ谷駐屯地に、陸上幕僚監監部法務官坂本陸将補(防大29期・アメフト部出身)を表敬訪問しました。ピークドラペルの新型制服に身を包んだ法務官から、兼ねてより疑問に思っていた憲法76条2項「特別裁判所の設置」と国防との関係について示唆的なご意見を賜ることが出来ました。AIや人型ロボット兵器に関する法整備が今後は課題なのだそうです。まるでハリウッド映画のような話です。新しい時代の到来を感じました。


滝行’18〜謹賀新年

今年も南足柄で滝行を行いました。滝行自体は「無」であり、その後に浴びる太陽の光にこそに意味があると考えられています。極寒の無間地獄で咆哮、その迸りを是非とも映像でご堪能下さい。新年の挨拶に代えさせて頂きます。


今シーズンに向けて〜元自衛官弁護士のボディビル奮闘記

MC:来たる平成29年9月16日に開催される東日本ボディビル大会に向けて調子はいかがですか?

G:今減量の真っ最中でやっと60キロ台が見えて来ました。例年のようにサウナスーツを着て無理に体重だけ落とそうとはしていません。ただ、それも直前になるとどうなることか…。減量は頑張っても頑張らなくても失敗するものですから難しいですね。

MC:今年の減量はいつ頃から始めたんですか?

G:春先からゆっくりと始めました。完全オフ時でも75キロ以上は増やさずにリーンに過ごさせて頂きました。

MC:勉強不足ですみません。リーンって何ですか?

G:オフシーズンにも比較的に絞った状態をキープして、オンオフの体重幅を少なくすることを「リーンに過ごす」と言います。

MC:そうなんですね。現在はどのような減量方法を採っていますか?

G:基本的には糖質抜きのケトジェニックダイエットです。まず裁判所毎に食べるコンビニのおにぎりをカットすることからファンファーレを鳴らします。コンビニのおにぎりは本当に美味しいですから食べ始めるとキリがないです。もう何ヶ月もコンビニのおにぎりを食べていません。

MC:日本人なのにおにぎりを食べないとは!お米も食べないんですか?

G:お米自体もしばらく食べていませんね。最低限の糖質は食物繊維で摂っています。お気に入りはフレグラのチョコバナナ味です。牛乳を掛けて電子レンジで加熱するとトロトロのお粥みたいになって、本当に美味しいです。気付くとお代わりしています。殆どフレグラのチョコバナナ味中毒ですよ。

MC:なんとも新しい中毒の形です。毎年減量期のエピソードトークを楽しみにしてるんですが、今年のエピソードを教えて頂けますか?

G:そうだったんですか。昨年はどんな話をしましたっけ?

MC:確か欅坂46の「世界には愛しかない」を口遊みながら全速力で爽やかに裁判所に入ろうとしたら入り口のバリアフリーのところで思いっ切り転んで冗談抜きで骨折したかと思ったという話だったかと思うんですが…。

G:あぁ確かにあれは真剣に骨が折れたかと思いました。いつも法廷では睨み合っているたまたま通りがかった相手方の弁護士に「だっ、大丈夫ですか?」って言われたので。でも、あの話は減量期のエピソードではなくて、単なる普通のエピソードだと思います。もの凄く寒かったですから。

MC:すみません、間違えました。では、最新の減量期のエピソードをお願いします。

G:あの日は朝から雨が降っていたんです。決まって雨の日に履く革靴があるんですが、その靴が本当によく滑るんです。真剣に骨が折れたと思ったあの日もその靴を履いていました。それもあって日中、私は全ての階段を細心の注意と共に上り下りしていました。その日の裁判や調停を予定通りに終え、雨も上がって夜になり、埼玉に戻ってスーパーアリーナの地下に降るエスカレーターに乗った瞬間でした。早く着替えようと一歩を踏み出した途端コミック漫画みたいにエスカレーターを滑り落ちてしまったんです。私は全ての階段を細心の注意を持って上り下りしていました。でもエスカレーターが階段だということを忘れていた。というよりその事に気付かずに、選りに選って鉄で出来た階段を滑り落ちてしまった。そして、滑り落ちている最中に気付いたんです。「しまった、これも階段だった!」って。

MC:なるほど、そう言われればエスカレーターは鉄で出来た動く階段です。怪我はしなかったんですか?

G:私は夏でも長袖のシャツを着ます。そのせいもあってシャツが破れただけで済んだと当初は思いました。その日は腕の日でバイセップスカールをするためにダンベルを握って1セット目を始めたとき、鏡に映った私の前腕に大きな亀裂が出来ているのを見つけました。

MC:やはりケガをしていたんですね。その日のトレーニングは中止ですか?

G:いえ、タオルで止血しながら予定通りのメニューをこなしました。一度断念してしまうと、不思議なもので必ずまた同じ場面に遭遇するものです。だったら今やろう、ここは分水嶺だと思いました。

MC:さすが元レンジャー隊員…というより、なかなか二度訪れる場面ではないかと思いますし、何よりもうその革靴は履かれないことをアドバイスします。ところで、今年特に力を入れている部位はどこでしょうか?

G:腹筋ですね。遅ればせながら40代でいわゆる腹筋デビューを飾りました。

MC:シャツを脱いだとき、人々の目が真っ先に注がれるのが腹筋です。

G:そうです。極端なことを言うと、腹筋さえあればとの部位が多少見劣りしても目立たない。腹筋が完成されていれば、その人の人格までも高く評価されることもある。腹筋とはそういう部位です。それほどまでに人々が憧れ、意識している部位なのであり、言い換えれば誰もが簡単にこの部位を研磨しながらも完成させることができない部位が腹筋なのです。ただ、残念ながらまだ所謂シックスパックには至ってません。でも、41歳の時の腹筋より42歳の腹筋の方が遥かに優れています。

MC:どんなトレーニング方法を見つけたんですか?

G:翻った言い方をしても構いませんか?

MC:構いません。お願いします。

G:まず自衛隊式の腹筋運動、具体的にはシットアップやクランチを止めました。これらの一般的な腹筋運動は中学生の時からやっていますが、自分の腹筋を見れば即時に証明出来るようにシットアップやクランチでは優雅なシックスパックを作ることは不可能です。そうではないという人もいるでしょうが、筋肉は誰かが私の代わりに鍛えてくれるものではありません。他の誰でもない私がそう思い、決断したんです。

MC:もうシットアップやクランチを止めようと?

G:そうです。その上で腹筋も他の筋肉となんら代わりはないという前提のもと、10回3セットしか出来ない種目を選択しました。強いて一つ挙げるとすればアブローラーですが、具体的なことはまた改めて解説したいと思ってます。写真は先週に旅行先で長男に撮って貰ったものです。

MC:お父さんの腹筋よりも何か違うものを撮りたがっていたような気もしますが確かに、年末の温泉旅行の時よりも腹筋がかなり発達して別人のようです。

G:この腹筋を青年時代に手に入れていればもっと違った人生が待っていたんじゃないかと思います。心の底から嬉しい反面、夜中に起きたときにふと不安になるんです。腹筋が元に戻ってるんじゃないかって。慌ててTシャツを捲り上げて腹筋を確かめ、こう呟くんです。「あぁ良かった。大丈夫だ。」って。

MC:気のせいかも知れませんが、自衛隊病院で包茎手術を受けたときの話がフラッシュバックしました。最後にこれを読んでいる30代から50代の男性諸君に向けて、仕事とトレーニングの両立についてお話し下さい。

G:仕事とは忍耐の連続です。私が仕事にしている弁護士業は憎悪、悔恨、怨嗟等の人間の負の感情と向き合い続けることにあります。くたくたになって家に帰り、お酒を飲んで寝るだけではその仕事は到底全う出来ません。依頼者に代わって強大なパワーを持つ人間の負の感情と向き合い、その上で依頼者を心から安心させるためには日々の準備が必要です。私にとってトレーニングとはそういった日々の準備、言うなれば儀式のようなものだと考えています。

MC:有難うございました。悲願の東日本ボディビル大会の入賞を期待しています。

G:こちらこそ有難うございました。

 

平成29年8月6日弊所にて


職業病としての水虫とドクターフィッシュ

私が通うゴールドジムのシャワールームには「ドライアーは髪の毛を乾かすのみに使用して下さい。」という張り紙があります。どうしてこのような張り紙があるかと言うと勿論ドライアーを髪の毛を乾かす以外に使用する人がいるからなんですが、その驚きの使用方法とは「水虫になった足の指の隙間に風を送る」ことなんです。まさか「水虫になった足の指の隙間に風を送るためにドライアーを使用しないで下さい。」という張り紙は出せないので冒頭のような一見して摩訶不思議な張り紙になったんだと思います。確かにドライアーは風を吸い込むものではないですが、我が国には「糞を味噌と一緒にするな」という言葉があります。窮地に陥っても用途を違えないという最低限のマナーを守ることが人間の品性を維持する上でも必要だということでしょうか。

ところで、一度罹患するとなかなか治ることはないのが水虫という病気。特に自衛隊の半長靴に夏用も冬用もなく、もって常に誰かが密かに水虫に罹患しているため至るところで感染の可能性が現存し、特に風呂場では脱衣所のマットを踏まずに脱衣するという不文律が出来上がっているほどそのリスクは高まって来ます。

幸い、私は在隊中に水虫に罹患することはありませんでした。しかし入隊前、今から思えばまだキッズに近かった19歳の冬、大学留年の危機を乗り越えるため日課にしていた腕立て伏せを止めて暫くした時に水虫に罹患した経験があります。旧約聖書のヨブ物語を彷彿するような想像を絶する痒みに悶え苦しみ、身体を温めるためのストーブを水虫の痒みを和らげるために使用するというゴールドジムのシャワールームにいるトレーニーと同様の品性の喪失を成人前に既に経験していたことになります。もちろん痒みは和らぐどころか、逆にヒートアップし、痒さと熱さで品性どころか意識を喪いそうになるという壮絶に孤独な夜を過ごすこと10日あまり、市販薬では水虫は治らないという同じ水虫キャリアの父親の忠告に従って近所の皮膚科に行き事なきを得、無事に留年の危機も回避させて頂きました。

その後自衛隊を経て、奇しくも人生の興廃を決する司法試験受験中に水虫に罹患した事があります。初めて罹患してから長い年月が経ち、随分市販薬も進化を遂げただろうと思って何とかブロックという薬を買いましたが、爽快感が心持ちアップしたような気がしただけで、いま思えば限りなくキッズに近かった19歳の冬同様、逆に悪化しちっとも治ることはありませんでした。いつになっても車のタイヤがなくなる気配がないように、進化しているようで進化してないものが世の中にはあるようです。その時どうやって水虫を治したかと言うと結論としては19歳の時の父親の忠告通り、近所の皮膚科に行きました。軟膏を塗り足の指一本一本丁寧に包帯を巻かれて行く私の足の指が司法試験の激闘を雄弁に物語っているかのようでした。診察後、足を引きずりながら子供達とともに近所のマーケットプレイスに行くと広場で「ドクターフィッシュ」が開催されており、買い物客が気持ちよさそうに小魚がたくさん泳いでいる池に足を入れて楽しんでるのが目に入ったのです。一瞬、私に逢魔時が訪れました。しかし、人の親として小魚たちが突然ぷかーっと浮かび上がり子供達の悲鳴を挙げるという惨状は望んでいなかったですし、その時まだ司法試験受験生でしたが人としての最低限の品性は持ち合わせていたためその恐ろしい試みは既遂されませんでした。ただ、その池に泳いでいた魚が本当に「ドクター」なのであれば、他の誰よりも私がそのドクターの治療を必要としていたことは間違い無かったでしょう。

他方で自衛隊病院で処方される水虫の薬は組織の特性上効き目が強く、その治癒力に誰もが驚愕するとのことです。私はその目を疑うという威力を一度も経験していません。次にその窮地に陥ったときは、薬局に行くことなく迷わず自衛隊病院を訪れたいと考えています。


謹賀新年〜滝行のご報告

年の暮れに、神奈川県南足柄某所にある「夕日の滝」にて滝行を行いました。

滝行は山を神と奉る修験道の伝統を受け継ぐ、古来からある修行法です。幸い天気には恵まれたものの、その寒さは想像を絶するもので、単なる手をあわせるだけのパワースポットでないことは滝に入るまでは分かりませんが、入った瞬間にその全てを知らされることとなります。とにかく寒い上に、滝の圧力で息が出来ず、大声を出してやっと呼吸が出来るという状態が90秒間続きます。あまりの過酷さに言葉を喪いましたが、小屋に帰るとさっきまでどこにあるかわからなかった太陽がすぐそばにあるような不思議な感覚が彼らを包みました。滝行自体は無であり、太陽の光にこそ意味があると和尚さんが語ってくれたことがとても印象的でした。

本年も宜しくお願い致します。


東部方面隊創立57周年記念行事

今年も残すところ1ヶ月を切りました。皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

私は12月3日に朝霞駐屯地で催された「東部方面隊創立57周年記念行事」に参加させて頂きました。各駐屯地の司令官はもちろん、埼玉県の上田知事も来席し、東部方面隊各地の地酒が振舞われるなど想像以上に豪華な式典でした。

東部方面総監にご挨拶させていただいた際、先月のクレーマー講演に触れ慰労の言葉を戴いたことは光栄の至りでした。最先任上級曹長と写真を撮った際、カメラマンの広報担当がレンジャーの先輩で「おい五領田、何やってんだ!」とシバかれそうになったのには本能的にビックリしましたが、改変間際の31連隊長が紳士服のコナカの顧問になっていたのは普通にビックリしました。当時31連隊から師団レンジャーに派遣され、帰還したのはたった2人です。ただ、もう20年近く経っているため覚えてはいないだろうと思い恐る恐る話しかけたのですが、振り返りざまに「おい五領田、何やってんだ!」と有難いお言葉を頂きました。

ところで、連隊長によれば自衛隊に一度でも所属したことがある人はコナカは永遠に20%オフなんだそうです。自衛隊を退職し、司法試験を3回連続一次で不合格になった上、これくらいなら許されるだろうと妻のドラックストアのポイントでプロテインを買ってしまったら逆鱗に触れ、その責任を取るため近所のイトーヨーカドーでレジ打ちをすることになり仕方がなく国道沿いのコナカにワイシャツを買いに行った話を連隊長に聞いて貰いました。やりたくない仕事のために身銭を切ったあの夕暮れをふとした折に思い出します。まさかあの時に買ったワイシャツが実は20%だったなんて…。元自衛官の特権を享受することが出来なかった忘れ物を取りに向かった帰りの道で、巨大な上戸彩のポスターの上に掲げられていた看板を見て三たび驚きました。ずっと「コナカ」だと思っていたその紳士服売り場は「AOKI」でした。忘れ物はそこにはなかったことになります。私は何の特権を持たない、これからレジ打ちを始めるただの男としてあのワイシャツを買ったのです。「よかった、大丈夫だ。」と私は呟きました。

あっという間の年末ですね。とはいえ年の暮れ、お世話になった方に「元気にしてます。」と言えるのは、何とかその一年を生き凌いだ者の特権なのかもしれません。皆さんの「元気です。」を聞かせて下さい。今年も年末年始休まず営業します。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ武蔵浦和で皆さんのお越しをお待ちしております。

 

 

 

 


朝霞駐屯地での講演〜クレーマーの対応術について

本年11月10日に朝霞駐屯地で「クレーマーの対応術」というテーマで講演を賜りました。

クレーマーには2種類あります。①自己愛型クレーマーと②錬金術型クレーマーです。それぞれの特性と具体的な対応策を、普段悪質クレーマーと組んず解れつしている自らの悲喜交々の体験を交えてお話しさせて頂きました。

講演後、朝霞クラブで行われた懇親会にも参加しました。PXが「ファミマ」になっていたのは知っていましたが、クラブが「はなの舞」になっていたのは驚きました。ただ、中味は私が知っているクラブでした。月1のステージはまだ開催されているのでしょうか?来月の駐屯地記念行事にも呼ばれているので、その時に聞いてみたいと思います!


暴力への衝動

「少年は休日に長い貨物列車が草原を走る時刻を楽しみにしていた。なぜなら、デッキに出ている乗客に手を振ると殆どの人が笑って手を振りかえしてくれるからだ。その日も、少年は貨物列車に向けて力いっぱい手を振った。手を振り終えて頬を蒸気させた少年の横を、貨物列車が通り過ぎるのを待っていた小売商が歩いて行った。少年はもしかしてその小売商も手を振りかえしてくれるのではないかと思い、手を振った。しかし、小売商はあまりに年を取り過ぎていて、手を振り返すことをしなかった。少年は突如降って湧いた衝動に駆られ、全速力で家に帰った。」

どこで聞いたか忘れましたが「衝動」に関する話です。その時の私は暴力への衝動を抑えるのに必死でした。ギャングの息子に水溜まりに頭を突っ込まれ靴で顔を踏まれた移民の少年フランク・シナトラはその時のことを述懐するに「オレはあの時、この野郎をどうやって殺してやろうかと考えていた。」と言いました。少年シナトラがその時その「衝動」を行使したかどうかは不明です。翻って、そのとき私はギャングの息子ではなくイトーヨーカドーのチェックマスター、つまり、或る特定の女性を「どうやって殺してやろうか」と考えていたのです。それは長男が産まれた後の司法試験を一次で惨敗した責任を取ってイトーヨーカドーの食品レジでパートになって3ヶ月、上の空でレジスターしていたため使えないというラベリングをされ始めた辺りの頃でした。二人いるチェックマスターの内の一人が、レジの配置移動の際に無言で私のエプロンの紐を引っ張るようになったのです。口頭で言えば済む話ですが、ドン臭い弱者に世の中は必要以上に厳しいことは私自身が自衛隊で熟知していました。ただ、レジに集中している時に引っ張るため靭帯の再建手術後の膝に不意の衝撃が走り、その度にどんよりとした嫌な気持ちになることを強いられたのです。「次に引っ張られたらカゴをブチまけてあの野郎に目に物見せてやる」…今では酔狂なお伽話ですが、あの時の私はその「衝動」を抑えるのに必死でした。

当時の司法試験の一次は択一式試験で憲法民法刑法各20点の3科目60点満点、その8割以上をマークしなければなりません。3度目の正直を賭けた勝負に惨敗したとき、憲法10点、民法13点、刑法19点、合格点は46点でした。問題の技巧化が極地に達した幾何学パズルのような刑法は当初1問解くのに1時間を要した鬼門であり、それをクリアー出来ていたのが唯一の救いでした。しかし、3年経っても答えを見ても分からない憲法は全く攻略の糸口が見えず、「憲法は国語力です。」と合格者が口々に言うフレーズが重く私にのし掛かって来ました。なぜなら、中学以降「国語はセンスだから勉強しても仕方がない。」という都市伝説を盲信して自ら豪語し、あらゆる国語系科目を英語と世界史の内職に費やしたツケが三十路を過ぎて廻って来たと思ったからです。つまり、マイケルチミノ監督、映画ディアハンターの冒頭で「鹿は1発で仕留めなければならない。」と言った後に戦場でベトナム人にロシアンルーレットをさせられることになったロバート・デニーロのような状況に追い遣られたと思い込んでいました。そんな折、来シーズンのパンフレットを取りに行った司法試験予備校の自動販売機の前で誰かが「昔の受験生は憲法は丸暗記してたそうだよ。」と言っているのが聞こえました。暴力への衝動と永年のツケが廻って来た恐怖に恐れ慄いていた私にとって、それはムハンマドの啓示でした。「そうだ、憲法を丸暗記しよう。あの野郎にカゴをぶち撒けるのはそれからでも遅くはない。」そう思ったのです。

それから私はジュンク堂のレジスターの前に置いてあった「日本国憲法」を百円で買い、いつも持ち歩くようにしました。そして、レジを打ちながら思い出せる限り、頭の中で憲法を暗唱したのです。夕方6時の5分前にレジに入り、6時になって各パート社員に与えられた固有番号をレジに打ち込んでからすぐに暗唱を始めました。食品レジは午後6時から午後8時が激混みします。「暇になってからではダメだ。その時からやらなければ、出来ない。」そう思っていたのです。そう思ったことに理由はありません。あるとすれば、それは私の中に新たに発生した「衝動」であったのかも知れません。

今でもよくそのヨーカドーに行きます。でも、食品を買う際はレジは新しく出来た無人レジを使っています。そんなことはないと思いますが、目の前にいるレジスター係が暴力への衝動を抑えながら憲法を暗唱していたとしたら恐怖以外の何物でもないからです。

皆さんの「衝動」にまつわる話を聞かせて下さい。JR埼京線とJR武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉県武蔵浦和で皆さんのお越しをお待ちしております。

 

 

 

 

 

 


男の映画②〜「世界にひとつのプレイブック」2012年パラマウント社

映画は妻の浮気相手を半殺しにして精神病院に入院したパットのトレーニングシーンから始まります。あらすじを言うと、結婚式で流れていたスティービー・ワンダーの名曲が浮気現場でも掛かっていたというトラウマを持つ主人公が若くてキュートでサイコな未亡人と出会い再生を果たしていくというラブコメディです。主人公パットは「アメリカンスナイパー」のブラッドリー・クーパー、若い未亡人ティファニーを今や新世代の女王に昇り詰めた「ハンガーゲーム」のジェニファー・ローレンスが演じています。誰でも出来る父親役をデニーロが演じていたりして一見チープですが、密かにアカデミー賞4部門全てにノミネートされる快挙を成し遂げた隠れた名作にクレジットされる作品です。本来骨太な男の作品を紹介するはずの「男の映画」シリーズですが、第2回目にラブコメを持って来たことに特別な意味はありません。映画はパットとティファニーがダンス大会に出場し、これを観に来た妻との再会を果たしたパットが新しいパートナーとしてティファニーを選ぶというハッピーエンドで終わります。予定調和的なハッピーエンドに親和性を持てないのは不幸な青春時代を過ごした者の宿痾のようなものですが、そんなことはさて置いてご紹介したいシーンがあります。

刑務所の代わりに入った精神病院を退院したパットは服薬の代わりにトレーニングで自らの病を治そうとします。あくまでもラブコメディの範疇で語るとすれば、トレーニングで自己を高めて妻の愛を取り戻すという主人公の目論見はあまりにも儚いもので、接見禁止命令が出ているため幾度となく通報される憂き目に遭います。しかし、そんな逆境の中でもパットは抗精神剤の服薬を頑なに拒否し、トレーニングでの治療を選択し続けるのです。私が注目したのは、若くてキュートなジェニファーローレンスとの恋愛の成就ではなく、主人公の薬を飲まずに精神疾患を治すという当初の目論見が紆余曲折を経て成功したという側面でのハッパーエンドです。この薬を使わない精神疾患の治療はハリウッドの作品でも度々俎上に登るもので、とはいえ映画ではなくドラマなんですが、少年時代のバッドマンを描いた今年一番の話題作「ゴッサム」でもそれを暗喩した場面があります。若きゴードン警部が初めてウェイン家を訪れるシーンで、ゴードンが屋根の上に立っているウェインを見るにつけ「医者には見せてるのか?」と執事に尋ねます。すると執事である若きアルフレッドが「ウェイン家のしきたりで精神科に見せてはいけないことになっている。」と答えるのです。

精神科に勤める妻は私がこの類の話をすると何も分かっていない素人が偉そうに語るなと言うような顔をしながら「何も分かってないわね。」と言います。しかし、本来自分の心は自分が一番よく分かっているのであり、薬を飲むと自分のこと一番よく分かっている「自分」がどこにも居なくなってしまうような気がしまうことに素人も専門家もないでしょう。結局自分の話をしますが、師団レンジャーを終えた後に精神のバランスが取れなくなったことがありました。レンジャー訓練の目的の一つは「限界を体験させる」ことありますが、その手段は何かと言うと抽象的には「戦争の疑似体験」にあります。よって、レンジャーから帰還した隊員はまるでレイテ島から帰還した兵士のように暗闇や、音に怯え、常に「あれは何だったのか」という禅問答のような自問自答に苛まれる日々を強いられることになります。よくレンジャーに行くと駅のプラットフォームでベルが非常呼集のサイレンに聞こえてあたふたし始めてしまうという笑い話がありますが、私の場合は後ろに人が立たれると木の棒で叩かれるのではないかと思いあたふたしてしまうというものでありました。これがゴルゴ13のようなものであればカッコイイのですが、精強の証であるレンジャーバッチを付けながら「ボク後ろに人が立たれるのが嫌なんだ。」とは口が裂けても言えません。レンジャーが課程教育で隊員の殆どがバッチホルダーである空挺や西方であればまだ良かったのでしょうが、当時部隊で一人の陸士レンジャーだったため、求められるイメージと内心とのギャップに押し潰されそうになる日々を後ろに人が立たれる度にあたふたしながら送っていたのです。そして部隊の先任も通っていた駐屯地カウンセラーを紹介され、暫く通いましたが症状は改善せず、とうとう3病棟かという事態に。通っていれば何らかの病名が付き、薬を処方されていたことになると思います。しかし、当時の私はその選択を取りませんでした。課業外になると「駆け足に行く」と行っては琵琶湖と呼ばれる沼の近くにあったバーベル置き場に行き、星を見ながら一回も上がらなくなるまでベンチプレスをしたのです。その場所は夜は誰もいなかったため、自由に心の赴くままワンワン泣いたりギャアギャア喚いたりしながらベンチプレスをしました。今のように上部だの下部だの気にせず、ただただ夜空を見ながら毎日ベンチプレスをしたのです。

精神病院で処方されたそばで服薬を確認される作業を経たパットの舌には先ほど処方された精神薬があり、パットは自らの呪われた人生に舌を出すように薬を吐き出してトレーニングを開始します。その姿に私はレンジャー訓練後の自分の姿を重ね合わせたことが、この映画を「男の映画」として紹介させて頂いた大きな理由です。冒頭で述べたように第2回にラブコメを持って来たことに特別な意味は全くもってありません。念のため申し上げておくと、暗闇でのベンチプレスの最中に私の前にジェニファーローレンスのような美しい女性自衛官が現れたことはなかったのでパットに抱くような嫉妬を私に向けないで下さい。

皆さんも「男の映画」を紹介して下さい。JR埼京線と武蔵野線のクロスポイント、ここ埼玉の武蔵浦和で皆様のお越しをお待ちしております!